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●「亀倉雄策展」オープニング記録
亀倉雄策展開催にあたって |
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| 彼の遺作は、ポスターとモニュメントの2つがある。ポスターは1997年9月24日開館したパリの日本文化会館のためのコンサートポスター、『追悼コンサート武満徹−響きの海へ』である。このポスターの校正を入院中の病院のベッドの上でしたという。その時の彼の胸中はどうだったのか、このポスターから推測できないであろうか。 |
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| 彼の表現スタイルは構成主義で一貫している。この遺作ポスターも幾何学形態による構成で、典型的な構成主義作品といえる。亀倉は1935年、20歳の頃、川喜田煉七郎が主宰する新建築工芸学院で、バウハウスの構成理論と方法論を学んでいる。それを基礎にカッサンドルや日本工房の名取洋之助らから、実践的な創作表現法を学んだ。デザイン批評家の勝見勝との交際によって彼特有の好奇心と向学心が、常に世界に眼を向け情報を収集し、世界のデザイナーと交流を進めることとなった。そのひとりとして友人であり、良きライバルであったアメリカのポール・ランド(1996年11月26日死去)がいる。1959年に亀倉は『ポール・ランド作品集』を編集し、東京・造型社から出版している。ポール・ランドは亀倉のように厳格な構成主義者ではないが、モダンかつキュートなデザインで人気を博したデザイナーであった。1996年11月14日、ポール・ランドはマサチューセッツ工科大学で最後の講演会となるその席上で、自分の全仕事について語っている。その講演会のポスターを12月3日、凸版印刷本社グラフィックアーツ部のスタッフと一緒に見ていた時、突然、亀倉がやってきた。名古屋での個展『亀倉雄策のグラフィックデザイン』展(1997年2月11日〜2月23日・国際デザインセンター主催)のポスター制作に凸版の最新技術のCGを利用したいということでやってきたのだ。その前に、国立美術館で個人のポスターが初めて展覧会となったということで話題になった『亀倉雄策のポスター 時代から時代へ・1953年−1996年の軌跡』展が、東京国立近代美術館フィルムセンター展示室で1996年8月6日〜9月21日に開催されている。ポール・ランドが亡くなった半年後、1997年5月11日に亀倉雄策は急逝した。 |
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| 亀倉ら日本のデザイナーに世界の情報を提供していたのは、偉大なデザイン批評家勝見勝であり、勝見と亀倉らデザイナーとの合作が東京オリンピックにおけるデザイン・ポリシーであり、亀倉が制作した東京オリンピックのシリーズポスターと共に、それらによって世界に日本のグラフィックデザイン力を認知させることとなった。勝見が亡くなった時、亀倉が葬儀委員長を務めたことを考えると、亀倉にとって勝見の存在は大きかったように思う。亀倉が亡くなる前に一度、彼が所有している蔵書を調査する機会を得た。本格的な調査の前の予備調査として、1時間ぐらい調査をした。貴重な文献・資料が数多くあり、その中にマックス・ビルの本があったことを覚えている。勝見は、勿論、マックス・ビルを雑誌等で紹介している。マックス・ビルは、ウルム造形大学設立に参加し、美術教育者、画家、彫刻家、建築家、グラフィックデザイナー、工業デザイナー、展示デザイナー、理論家、はたまた政治家として多様な活動を展開した理由は、美術家やデザイナーの仕事は象牙の塔にこもってする形式的、美的暇つぶしではなく、社会と文化の状況を変革しようとする実験的事業の一種であると見なしていたからである。勝見はマックス・ビルのことを、未来に期待される“トータル・マン”の先駆者であり、20世紀の綜合様式を志向したデザイナーとして高く評価している。同じ構成主義者であるマックス・ビルを亀倉は強く意識していたと思われる。表現スタイルだけではなく、亀倉が追い求めたものややり残した夢の中に、マックス・ビルと共通しているものを指摘することができる。例えば、亀倉はデザインを文化の脈絡で捉え、デザイン力によって社会と文化の状況を変えることができると見なしていた。ふたつめは、デザイン教育に関心を持ち、後進の指導を実践しようと考えていた。亀倉は急逝したため実現できなかったが、生前、デザイン学校開設の夢を周りのスタッフに語っている。三つめは、ビルが綜合様式を目指したように、亀倉もグラフィックデザインだけでなく建築を学んでいる。ポスターの中に建築を意識した作品があり、遺作のモニュメント−新潟県長岡赤十字病院のモニュメントへつながっている。このモニュメントを亀倉の建築への挑戦として私は評価したい。マックス・ビルほどのトータル・マンではないが、亀倉雄策は、日本ではたぐいまれな理想主義者ではなかったかと思う。 |
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| 亀倉雄策の全体像の研究は、ようやく今、始まったばかりといえる。
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