7th International invitasional poster exhibition第7回大垣国際招待ポスター展

ポスター芸術は、IT社会後の新しい社会に貢献できるか

日本国際ポスター美術館ディレクター 金沢大学教授 松浦 昇

 第21回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレのオープニング(6月7日)に、いろいろな所用が重なって参加することができなかった。数日後、ポーランドから「なぜ来れなかったのか。身体を壊したのか。」等、心配するメールをいただいて恐縮している。ポスターと歩んで30年以上になるが、ポーランドポスターとワルシャワ国際ポスタービエンナーレとの係わりが、私の研究の礎となっているので、今回の不参加は私にとって、非常に残念で断腸の思いであった。しかし、それは日本からポーランドポスターとワルシャワ国際ポスタービエンナーレを見直すチャンスかもしれないと思うことにした。

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 ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ創設にあたって、ワルシャワ美術アカデミーの故ユゼフ・ムロシュチャク教授の多大な貢献は、よく知られている。

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 彼はポーランドポスターを守るために、クラクフ美術アカデミーから、まな弟子ヴァルデマル・シュヴェジを連れてワルシャワ美術アカデミーへ転任した。そして、故ヘンリク・トマシェフスキ教授と共に、1956年から1963年においてポーランドポスター学校を組織し、ポーランドポスターの革新に成功した。その経緯について、ワルシャワ大学日本語学科を卒業して日本語通訳をされていたシュヴェジの娘、ドロータ女史の通訳を交えて、直接、シュヴェジから詳しく聞き取り調査をしたことがある。1966年に第1回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレが開始され、その2年後の1968年にヴィラヌフポスター美術館が創設されているが、その頃はポーランドポスターがポスター史上、絶頂期にあった。ポーランドポスターは当時の国民にとって希望の星であり、欧米や日本のデザイナーにとって羨望の的であった。あの冷戦時代においてポーランドポスターは、表現における自由さと多様さを維持し、広い人間的な見通しに立って直接的な実用性を超越し、具体的なメッセージばかりでなく幅広い普遍的な内容をもたらした。つまり、ポスターの理想郷を造り上げたのである。1994年6月、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレの組織変えと同時に、展覧会の会場がザヘンタ美術館からヴィラヌフポスター美術館に変わった。ビエンナーレが新しく変わったことを打ち出すために、ポスター学の国際会議も計画され、私に出席依頼があった。故亀倉雄策にワルシャワ美術アカデミーの名誉博士号(第一号)が授与され、その授与式に出席し、そして、第14回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレのオープニングに出席した翌日に、ようやく念願のヘンリク・トマシェフスキ教授に彼の自宅で会えることになって、その当時の話を聞くことができた。彼は「ポーランドポスターを最高の芸術に、すべての芸術の頂点に考えていた。」と静かに語った。それを聞いた時私は身震いした。亀倉雄策でさえ、そこまでポスターを考えていなかったであろう。欧米の著名なデザイナーのワルシャワ詣でや、特にヘンリク・トマシェフスキ教授に憧れて、若いデザイナーのワルシャワ美術アカデミーへ留学が始まるのである。しかし、現在のポーランドの若いデザイナーの中で、そのことを知っている、理解している者は何人いるであろうか。日本でも亀倉雄策を知っている若いデザイナーは、果して何人いるであろうか。

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 2008年の今日と、1960年代とは大きく状況が違っているように、ポーランドポスターも大きく違ってきているように思う。敢えて指摘するなら、今日の若いデザイナーのポスターにおいて、1960年代のポーランドポスターが維持していた独創性、表現における国際性と普遍性が揺らいでいる。つまり、政治的、経済的自由を勝ち取ったことが、特に若いデザイナーの間において、国際性を国際化と勘違いし、独創性が薄れてしまっている。また、普遍性とは表現するテーマを通して考えれば、人類共通のテーマであり、未来を見通したテーマであると解釈すると、それがポーランド固有のテーマに変わってきているのではないか。そして、一番指摘したいことは、1960年代のポーランドポスターが誇っていた、研ぎすまされた多彩な感性が、今日の若いデザイナーの間では見受けられなくなっている。そして、表現における自由さと多様さに陰りを感じる。ただ、現在でもポーランドポスター学校で活躍していたシュヴェジやフランチシェク・スタロヴェイスキら、また、それを受け継いで活躍している中堅デザイナーがいるので心配する必要はない、と言う意見があるのは承知している。私が尊敬する、ヴィラヌフポスター美術館設立に貢献した故ヤニナ・フイヤウコフスカ元館長とは1988年から親交があったが、ある時「ポーランドは政治的、経済的には自由になったが、若いデザイナーのポスターにおける表現の自由さが揺らいでいる。」と語った言葉が、私が感じていたことと一致していたので、今でも耳に焼き付いている。ポーランドポスターはどこへいくのか。もう、ポスターの理想郷を築くことができないのか?勿論、1960年代に戻ることはできない。手から離れた風船のように、若いポーランドポスターは大空を彷徨っているように思えて仕方がない。

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 「ポスターとは何か?」と問われると、「ポスターはアートでありメッセージである。」「また、社会の鏡である。」と紋切り型の回答をしていたが、最近はその後に「そして、ひとの暮らしと生活を豊かにするものである。」と付け加えるようにしている。ポスターが企業や団体の利益に貢献することを否定はしないが、個人の生活や社会の改善に貢献すべきものであると思う。その時代において、社会が何を必要としたのかをポスターは示している。ポスターはその国の文化を表象しているので、国別のポスターの優劣は意味がなく、判断できない。ポスターの中で民族を越えて印象に残るポスターは少ないが、反戦・平和ポスターはそのひとつである。戦後のピカソのポスターやスイスのハンス・エルニのポスターは余りにも有名であるが、近年では亀倉雄策の『ヒロシマ・アピールズ』(1983年)、フランスのアラン・ル・ケルネの『ボスニア』(1995年)、U.G.サトーの『フランス核実験反対』(1995年)のポスター等、印象に残るポスターが多い。戦争や紛争が世界経済を悪化させ、環境破壊に繋がっている。従って平和ポスターは、環境ポスターとも考えられる。環境ポスターにも印象に残るポスターが多い。第5回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレで金賞を受賞したドイツのディトリッヒ・ヒヤアデとユルゲン・シュトックの『水は生命』(1974年)、これはキャンバスに描かれた小さな絵でコピーはない。しかし、水質汚染による環境問題として明確なメッセージが伝わってくる。ニクラウス・トロクスラーの『死んだ木』(1992年)もコピーはないが、森林破壊による環境問題が力強く伝わってくる。この2枚のポスターは視覚言語の特質を明確に示している。ポスターは平和や環境を守るための公器と考えるべきである。世界大戦やベトナム戦争、そしてイラク戦争等から、我々は何を学んだのか。しかし、世界において同じ愚かなあやまちを繰り返されるばかりである。経済優先の社会では、愚かなあやまちを無くすことが出来ないのか。ポスターは、繰り返される愚かなあやまちを告発しなければならない。経済優先社会では、それは空しさを感じるが、諦めては社会は変わらない。経済優先社会からバランスのとれた成熟した文化社会への移行こそ、多くの市民が求めている社会ではないか。文化社会では、戦争や紛争もなく環境問題は解決され、勿論、個人の人権が尊重され、家族が社会における構成単位として考えられる。ポスターは、バランスのとれた成熟した文化社会形成に貢献しなければならない。そんなことを考えると、平和ポスターや文化ポスターの表現の中に、当然なことであるが、国際性と地域性、そして普遍性を含んでいなければならない。国際性(グローバル)と地域性(ローカル)をミックスした言葉、グローカルは21世紀社会における重要なキーワードとなっている。つまり、世界の問題は地域の問題であり、地域の問題は世界の問題でもある。

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 さて、大垣国際招待ポスター展は、1996年10月から開始され、今回で7回目を迎える。第1回から多くのデザイナーの協力を得て、今日では国際招待展を代表するひとつとして認知されている。特定のテーマを設定しないで、世界各国のデザイナーが今、何を考え、何を表現しようとしているのか、そこから何を読み取っていくのかが、ポスター美術館の役割と考えている。そのためにはアンテナをはっていろいろな情報を集めなければならない。

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 8月5日から9日まで、暑い大阪のど真ん中にある大阪国際交流センターで、『第32回国際美術教育学会世界大会2008 in 大阪』が開催された。国際美術教育学会の名称は、英語表記では『International Society for Education through Art』(略称InSEA)で、直訳すれば『美術を通しての教育のための国際学会』となり、イギリスの詩人で思想家のハーバード・リードの著書『美術による教育』に由来している。1954年に開催された国連のユネスコ美術教育セミナーにおいて、1900年のパリ万国博をきっかけに組織された国際美術教育連盟(略称FEA)を継承発展させて設立された国際学会である。1965年、東京で開催されているので、大阪大会は43年ぶりの開催である。福本謹一大会実行委員長がインターネットのホームページにおける『世界大会開催の主旨』の中で「2006年3月に開催されたユネスコ芸術教育世界会議(ポルトガル、リスボン)では、各国が国際競争力を高めるために、創造性を育成し文化力を高めることが不可欠であるという認識に立って芸術教育を創造性開発や産業との関連の中で重視し、国策として基礎教育の一翼を担うものとして位置づけようとする世界的な潮流があることが報告されています。」と述べていることに非常に関心をもったので、ポスターとは直接、関係ないが、美術教育を通してポスターを考えてみたいと思って参加した。日本の美術教育は、学習指導要領の改定を通して今まで授業時間数が減らされ続けてきたが、平成19年度の改定は現状維持に留まった。それ以上減らせない現状であるからといえよう。学会では、小・中学校の学習指導要領の改定が話題となり、あるシンポジウムでは中国、韓国、日本3国の学習指導要領が報告され、それらを比較すると、中国や韓国はリスボンで報告されたように、国際競争力を維持するために美術教育の重要性を認識して、美術教育を産業育成に活かそうと国策として強化していることが判った。また、ちがうシンポジウムでは、イギリスが具体的に美術教育とデザイン教育を、創造性開発や産業育成に活かすための基礎教育として、国策として位置づけていることが報告された。美術教育やデザイン教育の重要性が認識されることは喜ばしいことであるが、しかし、美術教育とデザイン教育が基礎教育として重視されるのは判るが、新しい産業創出に貢献するイメージはなかなか浮かばない。デザインは今まで産業社会に色や形、そしてイメージやアイデアというかたちで貢献している。美術教育とデザイン教育が、現在のIT社会(情報社会)から次の新しい産業社会創造に貢献するとすれば、考えられるのは創造性開発の基礎となる感性に基づいた新しい産業社会の創出であり、それは感性工学や認知工学等他の分野との共同研究によって創出されるものではないだろうか。それがバランスのとれた成熟した文化社会創造へ繋がり、『戦争と科学の20世紀社会』とはちがった21世紀社会にならなければ、世界が平和共存できないのではないかと思う。

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ポスター芸術は、21世紀社会をどのように創造していくであろうかという問いは、愚問といえる。ポスター芸術は、バランスのとれた成熟した文化社会形成に貢献することを目指している。大垣国際招待ポスター展に出品されているデザイナーの年齢層は、20歳代から70歳代と幅広く、それは大垣国際招待ポスター展の特色のひとつとなっているが、ポスター芸術は年代を越えて国際性と地域性、そして普遍性を追求していることを示している。ポスター芸術は、21世紀に入り情報社会の中で埋没するのではと囁かれたが、国際性と地域性、そして普遍性を表現のなかで追求し、バランスのとれた成熟した文化社会形成に貢献することができれば、1960年代のポーランドポスターとは違ったグローバルなポスター芸術の理想郷を創造することが可能かもしれない。大垣国際招待ポスター展を通して日本国際ポスター美術館は、その手助けをしたいと考えている。

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シュヴェジとアンジェイ・ポンゴフスキ(右)、筆者(左)
(1988年7月)

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故ヤニナ・フイヤウコフスカ館長(1988年7月)


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ミエチスワフ・グロフスキのアトリエにて。
後列の左端がグロフスキ、右端がヴワジィスワフ・プルタ、前列の右端がリヒャトル・オトレンバ。
(1988年7月)


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ワジエンキ公園のショパン像の前で開催されていたピアノ演奏会(1988年7月)


掲載している写真は、20年前の懐かしい写真で、1988年のポーランドはまだ旧体制であった。ワルシャワ国際ポスタービエンナーレが開催されていたザヘンタ美術館の近くの広場で、旧ソ連のゴルバチョフ書記長がワルシャワ市民を前に演説をしていた。それを横目にザへンタ美術館の中へ入って行ったことを鮮明に覚えている。ポーランドのデザイナー、アーティストに会うためにワルシャワからトルニ、ポズナニ、そしてクラクフ等ポーランドを周遊してワルシャワに戻ってワルシャワを立つ日曜日、ワジエンキ公園のショパン像の前で開催されていたピアノ演奏会を市民と一緒に聴いたことが大変、印象に残っている。