4th Ogaki International Invitational Poster Exhibition
第4回大垣国際招待ポスター展

『ポスター芸術は9・11テロ事件を乗り越えれるか!』

日本国際ポスター美術館ディレクター
金沢大学教授 松浦 昇

21世紀に入って初めての第18回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレは、ヴィラヌフ・ポスター美術館において2002年6月8日から開催された。私は6日ワルシャワに入り、7日からポーランドや欧米のデザイナー、研究者たちと交流を深めた。6月のワルシャワは、晴天の日が続き、温度も最高気温が35度前後まで上昇し、風物詩であるポプラの綿毛が舞い散る中で、菩提樹の白い花が咲き乱れるという光景が、私の印象である。
しかし、今年は違っていた。ワルシャワ滞在中はほとんど雨の日が続き、温度も低く、時には強風が吹き荒れ、あわててホテルへ戻って長袖のシャツとハーフコートに着がえ、コートの襟を立てながら出かけるという予想もしなかった天候でもって、私を歓迎した。そんな天候でも気落ちすることなく、ビエンナーレ関連の行事に積極的に参加し、ポーランドポスターや世界の現代ポスターについての情報収集に努め、ついでに日本国際ポスター美術館の活動をアピールしてまわった。その中で、イランの2人のデザイナーに出会い、第4回大垣国際招待ポスター展に出品の協力を得ることができた。アジア地域から出品者がふえることは、大変うれしいことである。



ところで、私がポーランドポスターを研究していく上でお世話になった、ヴィラヌフ・ポスター美術館創設(1968年)やビエンナーレの運営に多大な貢献をした故ヤニナ・フィアウコスカ女史と、ポーランドポスター界の巨匠・故ヤン・ムウォドゼニェツの墓参も、今回のワルシャワ訪問の目的のひとつであった。日本を立つ前に、ワルシャワ大学の岡崎恒夫教授から墓地の場所やポーランドにおける墓参のルールを尋ねていたので安心していたが、実際はヤン・ムウォドゼニェツの墓に辿りつくまで少々時間を浪した。ワルシャワ美術アカデミーの某教授から彼の墓の位置までの図を描いてもらい、これでひとりで行けると確信できたので翌日の朝、タクシーに乗った。タクシーの運転手に図を示し、私は墓参後の予定を確認するため、手帳を見ていた。しかし、タクシーは墓地周辺をぐるぐる回るばかりで、彼の墓がある墓地まで辿りつくことが出来ない。ワルシャワ最大の墓地といっても詳細な図があれば、タクシーの運転手はわかるだろうと過信していたことが間違いだった。私は少し腹が立ってきたので途中で降り、自分で探すことにした。
目標となる教会を見つけ、彼の墓がある墓地に辿りつくことができたので、墓地の前にある花屋で花を買って、彼の墓の位置を確認するため尋ねたら、店員は墓碑案内図の前へ私をつれて行き、探してくれた。しかし、彼の名前が記されていなかったので、結局わからなかった。この墓地の中にあることは確かなことなので、ひとりで探すことにした。冷たい雨の中で、カサをさしながらひとつひとつの墓を確認する作業は疲れた。ポーランドの墓はひとつひとつ個性があって、カトリック教徒らしいキリスト受難の像や、聖三位一体の図像、聖人の像、天使の像等が立てられ信仰の強さ、カトリック教徒としての誇りを表現している。およそ1時間くらい墓地の中を歩き回って、やっとヤン・ムウォドゼニェツの墓を見つけることができた。



墓に花を捧げ、岡崎先生から教えていただいたように、合掌しながら彼の墓に向かって語りかけた。
まず、今までのご厚情に対する礼を述べ、次にポーランドポスターの現状、特に若いデザイナーについて彼はどう見ているのか聞いてみた。私は、彼であれば若いデザイナーたちに、彼の恩師であるヘンリク・トマシェフスキが口癖のように言っていた言葉「過去に還って、古典を学べ。古典から発見せよ。」を送るに違いないと思った。ポーランドポスターが、戦後独自な地位を示め、世界のポスター界をリードしてきたのは、ヨゼフ・ムロシュチャクやトマシェフスキらの努力によるものであるが、彼らはポスターを最高の芸術に高めるために、表現技法やコミュニケーション技術を絵画における古典から学び、また一方では、欧米の新しい造形運動からも学んでいる。
その結果、ポーランドポスターは、社会全体に現代美術の言葉で話しかける伝達手段となり、ポーランド市民から高い支持を得たのである。今日の視覚言語における欧米化、グローバル化は確かに悪いとは言えないが、それが国際様式として確立されなければ、文化侵略と目に映り、民族間の対立が生まれるだろう。



ヤン・ムウォドゼニェツは50年代頃ピカソやミロの影響を受け、60年代中頃、ポップアートを受け入れ、そして、ポーランド民族芸術の強い影響を受けて、彼の芸術的個性と独創性が形成された。彼は「時代が暗かったので、アーティストとして明るくて色っぽいものが必要と思い、意識して明るい色を使うようにした。」と当時を振り返って私に語ったことを覚えている。
第18回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレのオープニングセレモニーは、8日、雨も上がった午後6時から始まった。
今回の審査委員長はイスラエルのデビット・タルタコーバである。4年前の1998年10月、大阪のDDDギャラリーで彼の個展が開催された時、オープニングパーティーの席上で彼と会って話をしていたので、彼もそのことを覚えていたらしく、笑顔で私に握手を求め、話かけてきた。今年のビエンナーレは21世紀に入って初めてのビエンナーレであり、昨年アメリカで起きた『同時多発テロ事件』がポスターの世界にどのような影響を及ぼしたのか、注目されたビエンナーレでもあった。
そして、審査委員長のタルタコーバはイデオロギーポスター(彼の場合は政治的メッセージを凝縮した自主制作作品)で、名を馳せたデザイナーということもあって、特にイデオロギー部門のポスターに注目が集まった。金賞は、フランスのアレックス・ジョルダンの『市民の義務感覚を持つことは、人間として当然である』、銀賞は、中国の若手デザイナーで現在ドイツの大学で教えているホー・ジャンピンの『クローン・・・』、銅賞はロシアのユリ・スコーフの『人類のための水』が受賞したが、期待していた割には肩すかしをくらった感じで、『同時多発テロ事件』の影響を、政治的配慮によって意図的に避けたように思ったのは、私だけではなかったようだ。
これよりも文化部門で金賞を受賞したアラン・ル・ケルネの『ロートレックへのオマージュ』が、議論をよんだ。2001年はロートレック死後100年ということで、近代ポスター確立に重要な役割を果したロートレックへの敬意を表す展覧会が開催されたが、それに出品されたポスターである。頭がロートレックで、体は十字架に磔されたイエス・キリストになっていて、ロートレックの身体的障害を表わすためにコラージュされている。頭上にはロートレックの名前『アンリ』、英語読みで『ヘンリ』の文字が配置されている。これは単なるロートレックへのオマージュではなく、ロートレック=キリスト受難を、21世紀社会への警告、と解釈出来る。その後、アメリカの『同時多発テロ事件』が起こるが、まさに受難が的中したことに驚いた。だから、このポスターは文化ポスターというよりも、イデオロギーポスターといえる。
つまり、展覧会のためのポスターという目的では文化ポスターであるが、表現されている内容はイデオロギーポスターといえる。



今回のビエンナーレで特に印象に残ったことは、2名の受賞者を出した中国の若手デザイナーの台頭である。それを先取りした、私たちが企画・開催した『現代中国ポスター展』(2001年10月27日〜2002年1月31日・日本国際ポスター美術館で開催)のカタログが話題になった。知人のデザイナーやポスター研究者、美術アカデミー教授ら一部の人しか配布できなかったが、それは大変、歓迎された。中国のポスターには、経済と同様に、表現技法やコミュニケーション技術を越えた、勢いがある。今回から学生の部が設けられ、若い力に希望を見い出そうというコンセプトが伝わったビエンナーレでもあった。学生の部で受賞したのはワルシャワ美術アカデミーに留学していた中国人の女性で、彼女が、ワルシャワ美術アカデミーの学生展を見学していた私に「あなたは中国人ですか。」と話かけてきたので印象に残っている。ワルシャワ美術アカデミーに留学している中国人は彼女だけではなかった。ポーランド以外の欧米のデザイン系大学で学んでいる中国人留学生は何名いるだろうか。日本でもデザイン系大学で学んでいる中国人留学生は年々増えている。私も現在、中国人留学生を教えている。この若い力が将来、中国本土で結実すれば、中国のデザイン力が日本と肩を並べ、日本の良きライバルとなるに違いない。今後、益々中国ポスターから目が離せない。
勿論、中国以外の国々の若手デザイナーの台頭も目についた。ただ、ヤン・ムウォドゼニェツをはじめ巨匠と呼ばれた人々と比べると、微弱である。そして、表現が同質化し、その国々の文化の特質が見失なわれている。文化の違いを認める寛容さが失なわれている。グローバル化とは欧米文化を押しつけることではない。
その中で、イランのポスターに安らぎを見いだしたのは私だけではなかった。若手デザイナーに期待することの危うさを感じながら、ワルシャワを立って、ウィーンに寄った。



ウィーンほど広告塔が都市景観の一部として溶け込んでいる街は少ない。だから、ポスターは大事に扱われ、ウィーン市立図書館や応用美術館に収集されている。1948年、ウィーンで開催された国際映画ポスターコンクールにおいて、ヘンリク・トマシェフスキが5部門で金賞を受賞し、これによってポーランドポスターは世界から注目されるようになった。ウィーンがポーランドポスターを認め、認められたポーランドが1966年から第1回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレを開始し、そこで日本のポスターが、イデオロギー部門とコマーシャル部門の2部門において金賞を受賞(田中博と永井一正)し、それによって日本ポスターも国際的に認められるようになった。整然と並んでいるウィーンの広告塔をながめながら、過去の出来事を思い出していた。そして、この広告塔にふさわしいポスターは誰のポスターかと想像していたら、日本の巨匠・早川良雄のポスターが浮かんだ。ポスターには街頭の中で映えるポスターと、美術館の中で映えるポスターがあることを以前から気づいていたが、日本にいるとそれがわからない。ポスターコンクールで受賞したポスターが、街頭の中で映えるとは限らないから不思議である。
ヨーロッパの都市、特にワルシャワやパリ、ミュンヘン、チューリッヒ、アムステルダム、ブダペスト、コペンハーゲンそしてウィーン等の街頭に立って気づくことである。どうして早川のポスターが頭に浮かんだのかというと、ウィーンに来る前の5月31日、大阪のATCミュージアムで彼の大個展の特別公開に出席し、彼の偉業に敬服していたからかもしれない。早川の豊穣な色彩とフォルムは、ウィーンの街頭に溶け込み、ウィーン市民を歓喜させるに違いない。早川のポスターが街中を埋めつくせば、なんと楽しい街頭になるに違いないと想像すると、街頭の広告塔に展示されたポスターコンクールがあっても良いのではと思った。



ポスター芸術は、特に産業革命による大量消費社会が安定する19世紀末から現代まで、その時代を描き出し、20世紀に入ると現代芸術の華として、市民と共に歩んできたといえる。しかし、21世紀に入った2001年9月11日、アメリカで起きた『同時多発テロ事件』は、アメリカを中心とした経済や文化のグローバル化に疑問を投げかけ、ポスター芸術においても表現が同質化し、各国々の文化の特質が見失なわれていることに、気づかせてくれた。若いデザイナーの間ではその傾向が著しく、文化の違いを認め合う寛容さが失なわれつつある。そんな情況下で第4回大垣国際招待ポスター展が開催されるが、招待展のコンセプトは明確である。招待展とは、美やアイデアを競うことだけではなく、各国々の文化の特質を抽出し、アートとして、メッセージとして、現代社会を描き出すことと考えている。
そして、20世紀に築き上げられたポスター芸術を検証することによって、21世紀における課題を明らかにする必要があると考えている。
しかし、政治や経済が優先される大量消費社会において、それがどんな意味を持つのか、という問いには、グラフィックデザイン関係者だけで答えることはできない。20世紀におけるポスター芸術の検証は、他分野(社会学、文化経済学、都市学、哲学、美学等)とのコラボレーションが必要であり、ポスター芸術は市民とのコミュニケーションと、あくなき造形美の追求によって存在し、時には、政治的メッセージによって市民から絶大な支持を得たのである。ポスター芸術は市民の生活文化を表現する限りにおいて、孤立することなく、市民の支持を得ることができ、アメリカを中心とした文化のグローバル化には巻きこまれないだろう。しかし、9・11テロ事件が曖昧に扱われると、その危うさも否定できないのが、今日の状況である。

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