ポスターは、世界の市民と繋がっている。

松浦 昇(審査委員長・金沢大学名誉教授)

 2020年の東京オリンピックエンブレム(シンボルマーク)が決定した。これほど国民の関心を集めたオリンピックのエンブレム選考はなかったと思う。日本のグラフィックデザイン界を牽引した亀倉雄策は「ポスターとシンボルマークは、グラフィックデザインの華である。」と語り、グラフィックデザイナーのシンボルマーク制作に対する熱情は、相当なものであった。その頃は、世界において、日本は「ものつくり大国」であった。しかし、今回のエンブレム選考結果を見ると、グラフィックデザイナーの熱情は薄れ、結果として「より、ベターな」作品が選ばれたといえる。今日のIT社会における日本の「ものつくり大国」が崩れようとしている姿とエンブレム選考結果を、重ね合わせて考えるのは、私だけではないと思う。マークだけでなく、ポスターも混迷している。亀倉雄策らが活躍していた時期は、日本のポスターは、世界から注目され、20世紀末まで世界の美術館が、日本のポスター収集に力を入れていた。日本は、ポーランド、スイス、フランス、ドイツと共に、ポスター王国として、称賛されていた。そのポスター芸術が、今年、ポーランドで開催されている第25回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレを眺めると、混迷している。ポスター芸術は、どこへいこうとしているのか?

 しかし、15回を迎える全国高校生ポスターコンクールは、明るく熱い。今年も『水』というテーマに、1092点のポスターの応募があった。年々、レベルが向上し、受賞作品の選考が難しくなっている。ポスター制作は、テーマに対する洞察力が、豊かな感性を引き出し、豊かなイメージを育む。そして、ポスターは、見る人々と繋がっていく。

 最優秀賞・早川穂香の作品『ニッポン、四季流水』は、日本の四季と水の関わりを、絵巻風に表現しているが、そのイラストレーションは、感性が豊かで、それが見る人の心に伝わる。岐阜県知事賞・月見梨乃の作品『水のめぐみ』は、雨が、地上にもたらすめぐみを、具体的な自然界の事象をあげて力強く表現されているが、あれもこれもではなく、象徴的に表現すれば、より明確に伝わったと思う。大垣市長賞・水越真子の作品『水』は、海の透明度を、魚の大群と『水』の文字をモンタージュし、それをブルー系の配色で纏めたイラストレーションは、アイデアは面白いが、伝えることが曖昧になっている。岐阜県教育委員会賞・葛谷木乃香の作品『生命』は、水を媒介として動植物の共存を表現している。デザイン的で象徴的なイラストレーションは面白いが、「水との共存」というコピー(文)が、かえって全体を弱めている。大垣市教育長賞・山崎あゆみの作品『水と生きていく。』も、シュール的な表現で力強い描写力は、豊かなイメージを育むが、コピーが平凡で、それがかえってイラストレーションの力を弱めている。岐阜経済大学長賞・徳佳菜子の作品『WATER is indispensable to life』は、デザイン的で明快な表現は、見る人を魅きつけるが、いろいろな要素が含まれるとメッセージ性が弱まる。簡潔で象徴的な表現は、なかなか難しいが、コピーが、独立した力を持つことになると、イラストレーションがより生きることになる。

 優秀賞は4名で、木口芽衣の作品『SAVE THE SEA』は、描写力に富み、技術的に完成度が高い作品である。しかし、『水』を『海の環境問題』に置き換え、海水汚染を伝えようとしているが、画面全体が奇麗すぎて、そのメッセージが弱い。伊藤介利の作品『命』は、滝を登ろうとする、鯉の生命力の強さを表現しているイラストレーションは面白いが、コピーの『命』だけではメッセージが広がらない。瀬上純菜の作品『やすらぎの水 ほぐれる心』は、プールで安らぐ姿を的確に表現している。コピーは素直に伝わるが、ただ、残念なことは、どうしてコピーを白枠の中にいれたのか。コピーがプールに溶け込むと、よりイラストレーションが生きたと思う。荒川緋南の作品『誰の水?』は、生物の命の源である水は、平等に分け合うべきだと主張し、そのためにイラストレーションを線描で表現しているが、全体の構成に工夫が必要だと思う。

 「ポスターはアートでありメッセージである。そして、その国の文化を表象している。」つまり、ポスターは、造形的側面と情報伝達的側面をもち、その国の文化を表象し、大衆芸術の真骨頂を発揮する。ポスターが、将来において、デジタルスクリーンに浸食されたとしても、紙に印刷されたポスターは、世界の市民と繋がって生き残るだろう。

 教育の現場でポスターが、高校生の成長記録として、もっと活用されることを願ってやまない。最後に、指導されている先生方のご支援に、お礼申し上げます。